混乱の先

新しいモノに出会ったとき,人がどういう反応をするか.それは,2つに分かれるのではないか.
一方は,自分の理解を超える,つまり,自分の中にある"型"を基にしてその事象を説明できない場合,その事象に対して遮断が起きる.思考が停止してしまう.レッテルの貼れないモノの存在を無視する.他方は,自分の持つ"型"を逸脱される事により快感,もしくは不快感を得る.
後者は敢えて言うと,特異性に優劣を感じるアーティスティックな人間のタイプなのかもしれない.それに対して,前者は異質な事象に対する防衛行動というと当然のように取れるし,理解への怠惰とも考えられる.
僕が創作活動において”鑑賞者の思考の混乱”を好むのは,型にはめる事による理解行動自体を否定して,型とかレッテルのような前提条件に因らない思考を進めたいからだ.音楽にリズムがあって,メロディーがあるというのは,音波に人間の意図をのせるための手段として確立されて,音楽によって人々は感動する.けど,それだけだろうか?
”美しさ”とか”楽しさ”とかのようには言葉で未だに表現されていない状態に人々を落とし込んだ時,そこには何が待っているだろう?